遠く 知らない街から 手紙が届くような

ビジネスにも自己啓発にも興味が無い経営者の嘆き

夢から醒めない

夢から覚めて、ああ俺は随分前から既に壊れていたんだなと悟った。甘美な夢に足を取られいつまでたっても起き上がれなかった。

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信じられるかい?あの頃僕は19歳で君は21歳だった…そして僕の記憶が正しければもう既に君は30歳になったはずだ。

初めて東京に来て初めて君と出会い東京にはこんなにも美しい人がいるのかと胸を打たれたことを鮮明に覚えている。一方の僕は田舎から出てきたまるで女性を知らない10代だった。この人は別世界の人間だと直感した。それくらい君を遠くに感じた。

それから数か月もしないうちになぜ君は唐突に交際を始めようと言いだしたのだろう?今となってはもう確かめようがない。断片的に思い出してみると、確か君が純情な僕を面白がりちょっかいを出したのがきっかけだったと思う。その謎の行動が全く理解できなかった僕はそれが僕を苦しめているのだと打ち明け、もうやめてほしいと言った。ちょっかいを出せなくなるのは嫌だから、それなら付き合おうと君は言った。今考えると訳がわからないのだが、あの頃は想像もしないことが起きたりする時代だったのだ。

ちょっとおかしな人だと思った。ただ君は心から信頼し愛していた人から裏切られとても傷ついていた。あるいは君は僕のことをその傷を癒すための塗り薬だと判断したのかもしれない。その憶測は置いておいて、その後も一緒の時を過ごす中でただ君が傷つき続けているというその事実が僕をとても傷つけた。君は過去愛し自分を傷つけた男のことを忘れられず僕のことを本当に好きになれるかわからないと言った。

それでも僕は君と根気強く向き合い続けたと思う。君の美しさと強さが本当はその弱さに裏付けられたものだと気づいてから、何とも愛おしく感じたのだ。ただそれは僕だけでなく、何があっても離れないと思い込みお互いの理不尽な想いをぶつけられる存在として君は僕を必要としていたのだろう。多感で何にも縛られず世間というものが少なくとも小さなコミュニティにのみに存在していたあの頃、どこにも行けない二人の滅茶苦茶な関係の中で君の傷は段々と癒えたように感じた。

それでもそんな君といることは僕にとって精神的な自傷行為だった。傷つき君のことだけを考えることで、自分がいま生きていること・自分が自分であることを感じた。それが辛く心地よかった。

しかし正直言うと僕は君のその傲慢で男勝りな気性に耐えられなくなり疲れ果てていた。君も潮時と悟ったのだろう、君は僕に別れを告げた。

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それから僕は何もかも忘れようと一日に映画を3本見てバイトとインターンに明け暮れ授業は出席だけ取り週末は色々な女の子と遊んだ。君のことはすぐに忘れられた。君からその後も何度か会いたいと連絡が来た。その連絡は一切僕の心を動かすことなくひたすらに無視を続けた。

2年経ち就活で行き詰っていたころ、久しぶりの連絡で一度だけ君に会うことにした。平日の昼間に古い街を昔の様にひたすらに歩いた。あの時の空気感は淡い西陽に満ちたワンルームマンションを思い出させる。切なく優しい時間だった。

食事をしながら、君は仕事に就く中でそのプライドの高さから周りには強い女性として振舞っていたが本当は精神的にもつらいのだと弱々しく僕に伝えた。僕を頼りたいのだと言った。ただ僕はそれを聞き食事がのどを通らなくなり吐き気を催して何も話せなくなってしまった。君はそんな僕を見て心配しながらも少し嬉しそうだった。

そのあと君は一人になりたくないと僕を自宅に招いた。特に僕たちは触れ合うわけでもなく一定の距離を取って無言で過ごした。どんどん空は暗んでいった。

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それから色々な女性と出会い人並みに恋をしたけれど成就するわけでもなくまともな恋愛に至らなかった。しばらくは君のことを思い出しもしなかったがここ最近、あの人はどんな形にせよ真剣に俺と向き合ってくれたんだなと思うようになった。どれだけ傷ついたにせよ掛け替えのない時間だったと思う。

今はもう君は遠くにいる。それは僕が君と初めて出会った時に感じた距離感以上かもしれない。そして10代の頃に出会った美しい女性がもう30代に差し掛かったと考えるとそれはもうちょっとした歴史だと思う。

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もう戻りたいとは思はない。だけどつい最近君の夢を見た。目を覚ました時、僕はもう既に自分が壊れて空虚な塊のように思った。君と一緒にいたときの痛みがじんと胸に残った。その痛みは泣きたくなるほど懐かしく忘れられたくないと思った。過去にとらわれ自分を傷つけることで自分が自分であろうとしたのかもしれない。

ただこうも思う。自分がもう既に壊れており損なわれたものなのだと思い込みたかっただけなのかもしれないと。ああ、現実と向き合い自分を修復する覚悟をすべきなのかもしれない。

 

今週のお題「最近壊した・壊れたもの」