ベランダで煙草を吸いながら、ふと自分の素足をみた。
足の人差し指が、親指よりも長い。それは当たり前のことかもしれないけれど、他の人の足の指の長さなんて気にもかけたことがなかったので、改めてまじまじと見るとこの1センチ弱の長さが何故だか誇らしくなった。
小学生の頃、バスケットボールのクラブ活動に励んでいた頃の話をしようと思う。
特にバスケットボールが好きだったわけでもない。小学生ながら、練習はかなりきつかった。週末だけ来る監督はヤクザのような風貌でひどく恐ろしかった。先にクラブに入っていた一個下の筋肉バカには「新米のくせに生意気なんだよ」と陰で脇腹をつねられ続けた。しかし、大体のメンバーは仲良くしてくれたし、そこそこ楽しかった。それでも練習はかなりきついし、監督はヤクザのように恐ろしかったので、早く辞めたいと思っていた。
監督のほかに、20代後半くらいの女性がコーチとして毎日練習の面倒を見ていた。かなり厳しい人ではあったが、練習の後はいつも人懐っこい笑顔を浮かべ、一人一人の子供のことをよく見ており、そんな優しさを隠し持った人だった。
練習中、足首をくじいた。結構なくじき方だったので、練習を一時抜け、コーチにテーピングをしてもらった。彼女は僕のバスケットシューズの紐を丁寧にほどき、色々な匂いが染みついた靴下と一緒に脱がしてくれた。
彼女がその時かけてくれた言葉を、今でも思い出す。
「君の足の人差し指は、親指よりも長いんだね」
「…何か意味があるんですか?」
「努力すれば、お父さんやお母さんよりも偉い人になれるっていうことなんだよ」
この言葉は、彼女にとってケガした子供をケアする際の常套句だったのかもしれない。ましてや、他の子どもの足の指の長さなど、知る由もない。しかし、とても素敵な言葉だと思った。足首を痛めている子供にこんな言葉を投げかけられるなんて、優しい人だな、と子供心に思ったことをよく覚えている。
果たして僕は今、両親より偉い人になれているだろうか。なれるはずないとも思う。自分の生活を犠牲にして、別段にやりたいことをしているわけでもなく労働に時間を費やし、どんな酷い言葉を吐きながらでも子供二人を養ってきた親父。母親も同じだ。どれだけ我々の存在で不自由な想いをさせてきただろう?
就職活動でボロボロになりながら、「やりたくないことはやりたくない」という想いを免罪符のように掲げる折、時々こんなことを思う。僕は両親ほど偉くはないし、かれらの優しさに生かされて居るのだと。結構なことから逃れてきた。人間関係だったり勉強だったり、染み付いた怠惰な根性から中々抜け出せずにいる。
もしかしたら就活でそのツケがまわってきたのだろうか?父も母も、とてもじゃないができた人間ではなかったし、弱い部分もたくさん知っている。そのことでたくさん悩んだし苦労もした。それでも、彼らは優しかった。そんな優しさが、いまでは酷く皮肉っぽく感じてしまう。
こんな息子でごめんなさい、という気持ちで過ごす5月の週末。