僕は江國香織の小説が好きです。
彼女は恋愛小説の女王と称されることが多々あるため、20歳そこそこの男である僕が彼女の小説が好き、と言うのはちょっとだけ恥ずかしいものがある。 だけど彼女の小説、とても良いんですよね。静かに燃え、夕日が射す様な世界観はいつまでも浸っていたくなる。
特に彼女のあとがきが好きです。見た目も声も好きです。余談ですが彼女の小説を読んでおくと、ある程度読書する女性に対して話題提供の切り口にもなるのでオススメです。これは本当に余談でしたね。
そんなわけで彼女のあとがきから三つの言葉を紹介します。
江國香織の「あとがき」
今回紹介する作品は
・『きらきらひかる』
・『落下する夕日』
・『泳ぐのに、安全でも適切でもありません』
です。どれも大好きな作品。
『きらきらひかる』のあとがき
まずはあらすじ。
本作は、アル中で情緒不安定な笑子と、医者で同性愛者である睦月の結婚生活をテーマにした小説です。
完ぺきな人間はいません。本作が描くのは、脛に傷がある者同士がお互いを補完し合い、時には傷つけ合い、それでも離れずにはいられない、そんな男女の普遍的な生活なのです。
そして、その小説のあとがき。一部抜粋です。
普段からじゅうぶん気をつけてはいるのですが、それでもふいに、人を好きになってしまうことがあります。
ごく基本的な恋愛小説を書こうと思いました。誰かを好きになるということ、その人を感じるということ。人はみな天涯孤独だと、私は思っています。
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素直にいえば、恋をしたり信じあったりするのは無謀なことだと思います。どう考えたって蛮勇です。
それでもそれをやってしまう、たくさんの向こう見ずな人々に、この本を読んでいただけたらうれしいです。
どうでしょう。瑞々しく透き通るような優しい言葉だと思いました。
一人だけど、一人じゃないと感じたくなる瞬間。
誰もがどうしようもない寂しさを抱えていて、そんな寂しさを満たしてくれるたった一人のために苦しさを背負って生きるというのは、確かに基本的な恋愛なのかもしれない。
『落下する夕日』のあとがき
まずはあらすじ。
8年同棲していた男が出て行って、それと入れ替わるように、その男の新しい想いである不思議な魅力を持つ華子が、梨果のもとに押しかけてくる…そうして、攻めることも逃げることもできない三人の奇妙な生活を描きます。
そして、以下が小説のあとがき一部抜粋。
こころというのは不思議です。自分のものながら得体が知れなくて、ときどき怖くなるほどです。
私の心は夕方にいちばん済みます。それはたしかです。だから夕方の私がいちばん冷静で、大事なことはできるだけ夕方に決めるようにしています。
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子供のころ、自転車に乗っていて、ころぶ数秒前には不思議な透明さでそれを知っていました。ああもうすぐころぶなあ。そう思って、ちゃんと、ころんだ。夕方には、何かそういう種類の透明な冷静さがあります。
夕日が沈みゆくのが一瞬であるように、この人も瞬間を愛したのですね。
『泳ぐのに、安全でも適切でもありません』のあとがき
あらすじは特にありません。恋をすることに躊躇わなかった女性の人生を切り取った、心に沁みとおる短編集です。
以下があとがきです。
瞬間の集積が時間であり、時間の集積が人生であるならば、私はやっぱり瞬間を信じたい。
SAFEでもSUITABLEでもない人生で、長期展望にどんな意味があるのでしょうか。
彼女のあとがきを書いているのは、作品の登場人物でもあり、その作品の延長線上を生きている彼女なのだ、ということが当たり前のように感じられる。
また、作品から抜粋したい、一文があります。
It’s not safe or suitable to swim.
ふいに、いつかアメリカの田舎町を旅行していて見た、川べりの看板を思い出した。遊泳禁止の看板だろうが、正確には、それは禁止ではない。泳ぐのに、安全でも適切でもありません。
私たちの人生に、立てておいてほしい看板ではないか。
僕だって、人生がこんなに危険で不安定なものだなんて、誰にも教えてもらえなかった。
あとがき
彼女に倣って、気の利いたあとがきを書いてみようか、と思ったのですが。そんな簡単に書けてしまっても仕方ないから、あえて当たり前のことを書こうと思います。
一様に行かないものを、ひとまとめに語ろうとする人が好きになれません。人生はそんなうまく行かないものでしょうか。それでは、私たちは何のために生きて、ものを考え、期待してしまうのでしょうか。
人生なんてものを信じる余裕などありません。
だから、今この瞬間が手からこぼれないよう、必死に掬い上げています。
そんなことを改めて感じさせてくれる彼女の作品が、好きです。